ツイッターのお題で「ねーつくえ、甘えたがりの写真家と迷子の女性が幸せをもぎ取る話書いてー」というのをひいて、ちょこっと書いたわけのわからない小話です。おつまみ代わりによろしければ。
カンナがその人を見つけたのは、本当に偶然だった。ファインダー越しに笑う顔。空気までほころぶような優しい表情に、カンナの時間も止まったのだった。
カンナは自称写真家、とも言えなくもない。カンナはいずれ写真で食っていきたかったが、今のところは全くの無名であった。つまり金がない。日銭を稼ぐため、バイトの掛け持ちをしているものの、どうにも時間と大事な何かを売りとばしているような気持ちになって仕方がない。
賞を獲るために写真を撮るのか、それとも生きるために写真を撮るのか、不意に無力感に包まれ、何もかもが面倒にある。客観的に見たときにカンナはいわゆるフリーターであった。しかも、夢を見ているという始末に負えない類の。親と言い争いをするのが嫌で、ここ数年は実家に帰っていない。最後に話したのは兄だった。子供が生まれたという報告。それが最後だったはずだ。
どうにもならない現状を、一番自分が分かっていた。しかし、ずっとしがみついてきた夢を、容易に捨てきれるものではない。
なんとなく身の回りに常にカメラを持ち歩いている。
部屋でコンテストに応募する作品を選んでいたが、煮詰まってしまい、飛び出してきた。目的地もなく、ついでに金もない。車もないカンナは、自分の足で歩くしかない。自分から疲れてどうするのかと思うのだが、この焦燥感が消えるなら体力が消えるぐらいはお安い御用だ。
今日もトイカメラを引っ提げて、近所の河原に降りていく。高彩度で撮れるこのカメラは、画像になんともいえない味わいを添えてくれる。どのような構図がいいか、どのようなアングルが美しいか、いつの時間帯であれば、どれだけ露出をすればいいのか。それらは技法書で散々学んでいた。構図の絶妙さをほめられたことがある。しかし、カンナの写真が賞を獲ることはなった。皆が口をそろえるのは、「魂が入っていない」などという漠然とした言葉だ。技法や理屈は分かる。だが、魂など、どうやって入れればいいのか分からない。
河原で平らない石を拾い、水面へ投げつける。2バウンドして、石は水中へ消えた。結局カンナはあの石のようなものだ。埋没して、外から到底見ることもできない。打っつくした気持ちを抱えたまま、トイカメラのファインダーをのぞく。子供だましの四角い枠はカンナの世界を枠の中に強引におしこめた。
周囲を一望し、カンナはその人影に気が付いた。
「あれ……何してんだ、あの人」
20代の女性だ。草むらに座り込み、なぜかニコニコ笑っている。何が楽しいのか分からないが、彼女は不意に笑み崩れた。
その笑顔は、カンナの中の何かを突いた。
反射的に、シャッターを切ってしまう。
機械的なその音は思った以上に河原に響き渡り、シャッターの存在感を示してしまった。どっと汗が噴き出てくる。無断で女性の姿を取ってしまったのだ、訴えられても仕方がない行為である。
女性は振り返り、カンナに気付いた。嫌な汗が背筋を滑り落ちる。
しかし彼女は、予想外の反応を見せた。
「こんにちはぁ」
語尾が伸びた、ぼんやりとした声で挨拶をしてきたのである。カンナは反射的に、
「あ、どうも」
と軽く返した。先程のカンナの行為に彼女は気づいているのか、心臓が早鐘を打つ。
「あの~すみません」
女性が眉根を下げてカンナを見上げる。草むらに座ったままの彼女からすれば、カンナは見上げる位置にいた。やや薄い色の光彩は透き通った茶色で、まっすぐにカンナを映している。
「ここどこですかあ」
「は?」
主語もすっ飛ばした会話に、カンナは思いっきり不審そうな声を上げてしまった。
「気が付いたらあ、ここにいたんですう。私の家はあ、どっちでしょうねえ」
よくよく見れば、彼女の服装はコスプレのようなものだった。やたらキラキラテカテカしているのは、何の材質だろうか。遠目には普通にワンピースを着ているように見えたのだが、ずいぶん派手な格好だった。頭髪はこげ茶である。頭髪と顔立ちは、日本の風景に混ざっていてもおかしくないものだった。つまり、ただのコスプレをした女性……なのだろうか。この近辺でそのようなイベントが開催されるということは聞いた覚えがない。
「そういわれても、あなたのことを何も知りませんし」
常識的にそうだろう。女性も納得したようで、しきりになるほど、そうかあと頷いている。
「ですよねえ、すみません~」
しょんぼりした女性に、カンナの罪悪感がわく。こちらも後ろ暗いところがある、わずかなりとも力になれるものならなったほうがいいのだろう。
「警察にでも行きますか?」
「いいえ、だいじょうぶですう、もう少ししたら、お迎えがくるので、ここからうごいちゃだめなんですよお」
なら、心配はなさそうだ。そういえば、彼女はいったい何を見ていたのだろうか。
「花?」
彼女の足元にあったのは、変哲もない黄色い花だった。三つ葉の、紫っぽいやつに咲く花だ。名前は全く知らないが、小さいころ草抜きで面倒だった覚えがある植物だった。
「お花さんが咲いているんですう」
自身の頭にも咲いてそうな口調で彼女が話す。
「いいですよねえ、春って」
そういえば、季節のことなど最近は気に留めたことがなかった。不意に顔をあげれば、ぬるい風が頬を撫でる。暖められた土のにおいが鼻孔をくすぐった。
のんびりと笑う女性の顔を眺めて、ふと、初めてカメラで撮ったものを思い出した。確かあれは家族の顔だった。子供だったカンナは、父親のカメラを借りて、そこらじゅうのものを撮りまくったのだった。ピンボケ、何を映したか分からない、変な小物も写して、現像代の無駄だと父親に怒られた。唯一まともに取れていたのは家族の顔で、自分でもいいものが取れたと満足出来た覚えがある。そして、それを父母に褒められたことも。
撮りたいから撮る。昔の気持ちが湧き出してくる、そんな気がした。
「あの、」
カンナの声に、女性は振り返った。
「さっき一枚、間違えて撮っちゃったんです。すみません」
はあ、と首をかしげる女性の顔に嫌悪感がないことに、安堵する。そして、さすがにこれは図々しすぎるな、と考えながら頼み込んだ。
「もし、よろしければなんですが、一枚撮らせていただいていいですか?」
女性はしばらく首をかしげていたが、
「いいですよお」
と微笑んだ。
じゃあ一枚、とシャッターを切る。ファインダーはあてにならないが、くすぐったそうに笑う彼女がおさめられているはずだった。
不意に、
「あっ」
と彼女が大きな声を発し、カンナの背後を目を丸くして見た。
なんだ、と反射的に振り返ったが、誰もいない。なんだったんだと視線を戻すと、彼女はもういなかった。
代わりに、白く大きな羽が一枚残されているだけだった。
後日、トイカメラのフィルムを現像する。鮮やかな色彩に変換された風景と、微笑む女性。会心の出来であったが……。
「これは外に出せないな」
彼女の背中には大きな白い翼が生えていた。
会心の出来の写真はどこにも出せないが、忘れていたものを思い出せたことだけが、ささやかな収穫だった。思い出の中の何かを、再度手にできた春の日の出来事である。
主人公はお好みで男でも、女でもどうぞ。